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エッセイ

子ども手当

戦後日本は、急速に少子高齢化が進んだ。高齢化が進んだ背景には、予測できなかった少子化があるとされる。
社会学者のフィリップ・アリエスは、近代以降「子ども」という概念が出現したことを発見した。中世以前、「子ども」は「大人」となんら変わりのない存在だったが、近代以降、「子ども」は未熟な存在、教育を施され、庇護される対象になったというわけだ。
本来、子どもを産み、育てるという行為は、非常にプライベートなこと、本能的な営みだったが、人間が高度に社会化していくプロセスにあって、子育ては自然な、あるいは本能的な営みではなく、国家が関与し、コントロールするようになった。プライベートゾーンへの公権力の介入であり、非常にイデオロギッシュなことがらになったと言える。
いくつかの例がそれを示してくれる。戦中・戦後日本は、「産めよ・増やせよ」スローガンのもと、敗戦からの復興をなしたわけだが、子どもはそのための人材としての意味合いがあった。昨今の「婚活」ブームは、将来の「超」高齢社会を支える人材確保という見方も可能だろう。ロイヤルファミリーにいたっては、男子一系の天皇制を維持する論理がまことしやかに語られ、物議をかもしている。隣国中国では、1979年に増え続ける人口を抑制するための「一人っ子政策」が打ち出された。違反すれば、住居負担や税金ほかで「バツ」が与えられる。
「バツ」の対極に「褒美(ホウビ)」があるなら、さしずめ、子ども手当は子どもを産み、育てるための「ご褒美」。だが果たして、「ご褒美」をあげるからと言って、今の日本の若い女性たちは子どもを産み、育てたいと思うだろうか。子育てが本当に楽しく、価値あることとして社会的意味が付与されてきたなら、率先して男性たちがする(してきた)と私は確信する。決して、女性にまかせてはいないはずではないか、と。
女性たちが、女性たちのカラダが、国家のイデオロギッシュなマシーンとして使われてほしくないと私は願う。男性にも100%子育てはできる!(近い将来、きっと出産だって可能になるだろう。)女性が産んで、男性が子育てをする!くらいの価値観や規範の変化、関係性の変化は起こらないものだろうか。女性と男性の対等性が保障されれば、「子育て」という豊かな体験を多くの人ができるのに。