エッセイ

行政刷新

今回の自民党から民主党への政権交代は、なかなかいい感じでスタートしたのではないか。岡田外務大臣の就任直後のアフガニスタンへ電撃訪問は、今までにない熱意とフットワークの軽さを印象づけた。事業仕分け人たちの公開でのやりとりは、「グサッ!」「ウググッ!!」と、あたかも「必殺仕事人」の爽快さだ(まるでお宝探しをしているかのようで、滑稽だと思わなくもないが)。若葉マークの民主党議員たちも、断末魔のあやつり人形のような「前の」「その前の」「その前の前の」首相たちの形相に比べれば、元気で何より、清々しいくらいだ。

数年前、たった一年間だったが、私はある行政関連施設で働いたことがあった。市民を対象にイベントやセミナーを企画するのが主な仕事だった。事業内容は「前年通り」がもっとも無難なやりかた、年度末には予算を使いきるために、「何か買うものないかあ」と課長からの言葉などなど、「行政の常識は世間の非常識」と私は早々に悟った。一言で言うと、すべては「予算ありき」。限られたパイ(年度予算)を力関係で分ける。それは部や課のシステム内部での力関係、さらにその構成員である人びとの力関係によって配分は決まるのが慣例だった。

話は変わるが、私の父は以前、中学校長をしていた。先日、「署名をお願いします」と退職校長会の地区担当者がこられた。「年金の減額に断固反対!」という趣意に、私はのけぞりそうになった。「ええっ、職もなく、住むところもなく、お金なく、自殺する人もいるというのに。父はそれなりに生活してますから!」と、ついきつい口調になって、帰っていただいた。内緒だが、父に無断で署名を拒否した。官庁から民間への天下り、日本航空の退職者の年金問題、事業仕分けで削減されたりしている補助金、ダムや飛行場の利権からみの問題などなど、すべてに「既得権(益)」が絡んでいる。一度手にしたものを手放すことは難しいという証か。それなりの「勇気」と「覚悟」がいるということなのだろう。「既得権」をもともと欲しない人たちもいるではないか。たとえば、自立生活サポートセンターもやいの湯浅誠さんや、ライフリンク清水康之さんなど、若手の活動家たちに私はかなり期待を寄せている。若く優秀で、既得権やしがらみやこけんにこだわらない、そして何より「支配」を欲しない人たちこそ、行政刷新の一役を担うにふさわしい人たちだと思う。

今のところ「行政刷新」は、官僚主導で行われてきた政治状況を変えることにある。が、おりしも経済不況の真っただ中、パイが増える可能性は極めて低い。とにかく、どれだけ公平に、今必要としている人たちにどのように配分するか、そのための「既得権者」への説得は、現状分析のためのデータがなければならない。既得権者にはまず想像力、そして手放す勇気と英知と動機が求められる。民主党の誠意と熱意と奮闘に、私は大いに期待している。