カウンセリングルームWithYouについて

今まで出会った女性たち・相談例

*ここに書かれているのは、本人の特定ができないようにアレンジしてあります。

まきさん --- アルコール依存症

アルコール依存症はとてもやっかいな病気だ。圧倒的に男性が多いが、女性もいる。つまり、男性よりも体が小柄なこともあり、アルコールの分解酵素が少ない人が多く、重症化したり、中には死にいたるケースも少なくない。
カウンセリングにこられた方ではないが、ご紹介しよう。私は一時期、アルコールや薬物から回復するための自助グループ(セルフヘルプグループ)のAA(アルコールアノニマス)のミーティングに通っていたことがある。一応、参与観察が目的だった。
大都市の街中の小さな教会で、ミーティングはひっそり行われていた。毎週一回、1時間から1時間半くらい、チェアマンがいて、それぞれ話したい人がその日のテーマにそって自由に語る、ただそれだけのミーティングである。「言いっぱなし聞きっぱなし」げ原則で、誰もアドバイスをしたり、質問をしたり、もちろん批判したりしない。専門家と言われる人もいない。
そこである女性にあった。彼女は夫と子どもが三人、夫の母親とかなりの田舎町に暮らしていた。私が出会ったのは、お酒をたって、そろそろ5年がたとうとしていたときだった。たまたま私と同じ年齢だったので、すぐにあいさつを交わす関係から、なんとなくそれぞれの話をするようになった。彼女は若いころからお酒を飲み始めていた。というのは、母親の晩酌の相手という関係にアルコールの歴史はさかのぼる。母親は大きな事業をしていたが、倒産し、かなりの負債をおった。それまで一人っ子だった彼女は、まるでお姫さまのような生活をしていたという。母親が仕事で忙しく、家にいないことが多かったから、つきっきりのばあやがいて、すべての世話をしてもらっていた。事業に失敗し、母親のお酒の量も増えていった。彼女自身の生活も一変し、転校を余儀なくされ、借家に住み、そこで若い義理の父親と三人で暮らすようになった。
母親は非常に優秀な人で当時の最高学府を出ている超美人だそうだ。そのことは誰もが認めることで、どこへいっても特別目立つ存在だったという。母親は娘の彼女に、「あんたはできない」「あんたはブス」と言葉に、そして暗にメッセージを出し続けた。幼いころから娘にお酒の相手をさせ、酔えば必ず愚痴の聞き役をさせたという。
彼女も年頃になり、結婚した。旧家と言われる嫁ぎ先は、若い嫁には非常に厳しい環境だったようだ。夫は会社員だが、休みのときは農作業に駆り出され、夫とともに疲れ果てた。その中で三人の子どもがさずかった。
一番下の子が幼稚園に入るころから、お酒を飲み始めるようになった。お酒を飲めば、幼稚園のPTAの役員のあいさつもなんなくこなすことができたという。近くのお店にアルバイトに行き、仕事の合間にトイレでのみはじめ、店長に「お酒飲んでるのか」と言われ、解雇された。それから少しずつ酒量が増え、周りの人たちにもわかるようになった。家のこともできず、子育てもできなくなった。子どもたちも荒れた。夫も心配してくれるが、時には暴力で彼女のお酒をやめさせようとした。お姑さんにいたっては、アルコール回復プログラムを受け、退院してきてすぐに彼女を仏壇の前に座らせ、「私がこの子の病気をなおしてみせます!」といったという。彼女は動かない頭でわけもわからす、「そうなんだあ・・・」とぼんやり思ったという。
それからも何度も断酒できずにのたうちまわった。荷物をもって、家をでて、ホテルで自殺未遂をしたこともあった。気がついたら、ホテルに夫と長男がきていて、そのまま病院に入院させられた。そのあと、ようやくセルフヘルプグループにつながり、断酒が継続するようになっていったという。
アルコール依存症からの回復は長い長い道のりだ。なぜなら、1滴飲んだら、ほとんどの人がまた元に戻る。つまり、断酒を続けることができず、元のもくあみ。ゼロから、いやマイナスに戻る。精神病院に何度か入院した人もたくさんいた。(現在では、入院し三カ月ほどの回復プログラムに参加することもあるが、カラダの治療を進めながら、抗酒剤を使用し、通院で治療する場合が多い。)
依存症はアディクションと言われ、その対象は広がって理解されるようになっている。アルコール、薬物、恋愛、セックス、買い物、食べ物、ギャンブル、借金ほか、治療は難しく、完治はないという。日本の場合、専門の病院も少なく、これからの早急の整備が待たれる。